産後、本当に限界で、「助けてほしい」と言うだけでも勇気がいりました。
泣き止まない赤ちゃん。細切れの睡眠。終わらない家事。
しんどいと伝えたいのに、口から先に出るのは「ごめんね」でした。
責めたいんじゃなかった。困らせたいんじゃなかった。
ただ、一人で抱えきれなかっただけです。
「助けて」の前に、いつも「ごめんね」が出た
トイレに行きたい時も。少し横になりたい時も。泣き止まない赤ちゃんを代わってほしい時も。
「ごめんね、少し見ててくれないかな?」
お願いをしているだけなのに、迷惑をかけることみたいでした。
夫も仕事で大変だから。家族に頼ったら、感謝をきちんと伝えなきゃ。私より大変な人もいる。
そう考えているうちに、自分の限界を説明する言葉まで小さくなっていきました。
解決策を聞きたかったわけではなかった
勇気を出して「しんどい」と言った時、すぐに解決策が返ってくることがあります。
保育園に入れれば。寝られる時に寝れば。家事をしなければいい。
どれも、何とかしたいと思ってくれた言葉だったのかもしれません。
でも、その時に最初にほしかったのは、「そっか、今つらいんだね」でした。
今日何があったのか。どこまで一人でやっていたのか。今、何が一番苦しいのか。
解決を決める前に、そこを見てもらいたかった。
助けを求めた時に責められると、次は言えなくなる
「俺も大変」
「仕事中に言わないで」
「要求が増えていくね」
そんな言葉が返ってくると、助けてと言ったこと自体が間違いだった気がします。
次に同じくらい苦しくなっても、また責められるのが怖くて飲み込む。泣くまで気づいてもらえないのに、泣くところまで我慢してしまう。
助けてほしいと言った時に責められた記憶は、ずっと残ります。
「助けて」は、相手を責める言葉ではない
お願いしたいのは、家事や育児をしていないと認めてほしいことではありません。
今の人数と体力では、一人で回しきれない。
その事実を伝えているだけです。
「あなたがやっていないと言いたいんじゃない。今だけ、赤ちゃんを抱っこしてほしい」
「解決策を決める前に、5分だけ今日の話を聞いてほしい」
「ごめんね」ではなく、「お願いしていい?」
あの頃の私は、そんなふうに言えたら少し違ったのかもしれないと思います。
一人で抱えきれない時があっても、弱いからではない
赤ちゃんのお世話は、食事、おむつ、お風呂、寝かしつけだけではありません。
泣き方や顔つきから理由を探して、危なくないように見守り、次に必要になるものを考え続ける。子どもの機嫌を整えるために、一日中頭と気持ちを使う対人支援です。
自分の機嫌も体調も後回しになるほど対応していたら、一人で抱えきれない時があるのは当然でした。
助けては、責める言葉ではありません。
今日を一緒に回してほしい、と伝える言葉です。

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